大淀町のマップをご紹介します。気を付けてお越しください。
 
 
  大淀古道



  大淀古道

いにしえ、貴族が飛鳥から吉野に入るもっとも平坦な道は、巨瀬路から今木を通り下渕に抜ける道でした。遠回りですが、大勢連れで越すには一番良い道で、最も古くに開けました。
これに対し、壺坂を越えて吉野に入る道は、直線コースではあるものの、非常に険しい道でした。しかし、この道を越えてもたらされた仏教文化は壮麗な吉野寺の建立につながり、吉野における仏教文化のはじまりとなりました。平安貴族はこの道を通り田口に出て吉野寺に参り、六田から渡しを経て吉野に入りました。

その後も修験道の隆盛と共に栄えました。田口集落から離れること数百メートル、安産の滝の上にあった安佐寺は、その由緒は不明ですが、藤原朝時代の作と思われる優秀な仏像が安置されていたことから立派な寺であったことが偲ばれます。大淀古道は、山上参りの客で賑わい、明治中期頃まで茶店や、めし屋もあったように、今では想像もできないほどの、人の行き交う道であったようです。


 
 世尊寺





 
世尊寺


境内には東西両塔跡である礎石が残り、日本書紀の記録や寺に残されている瓦などからも、少なくとも飛鳥時代(7世紀後半)には存在していたと推測されます。清和天皇や宇多天皇が行幸されたり、藤原道長が滞在したり、また後醍醐天皇の行幸を迎えたりと、吉野地方で大変栄えた寺院のひとつでしたが、創建以来何回となく火災や時勢の変革に遭い、現在残っている建物は後世に再建されたものです。

本尊は阿弥陀如来坐像。十一面観音木像には、胎内銘や経巻が納められていました。この他には聖徳太子像、文殊菩薩像、毘沙門天像、弁財天像、役小角像、蔵王権現などが残っています。
本堂の背後には聖徳太子御手植えと伝えられる壇上桜をはじめ桜のころには落花も美しい、ひっそりとした風情に包まれ、隠れた名所のひとつです。山門には左甚五郎作といわれる天の邪気の彫刻があります。 まずはじっくりとこれを鑑賞してから、境内を歩いてみましょう。 中門との間に東西両塔の塔跡があり、東塔は用明天皇のために聖徳太子が、西塔は敏達天皇のために推古天皇が建てたと言われています。

 
 
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